夕刻、浜松駅から新幹線に乗り込む。
が、タイミングが悪くて「こだま」しかない。
名古屋-東京間を「のぞみ」が1時間40分で走るというのに、「こだま」は浜松-東京間を2時間もかける。ちなみに料金は一緒。なんだか釈然としない。
2時間もただシートに座っているのは辛い。なにか読むものがないかと鞄を漁っていると、1冊の文庫本を発見する。
山崎ナオコーラの
「人のセックスを笑うな」。ずいぶん前に買って、いつか読もうと鞄に入れておいたのだが、すっかり忘れていた。
そういえば昨日、レンタルビデオ屋にDVDが置いてあった。たしか、この小説が映画になった時に、作者の山崎ナオコーラがラジオ番組に出演していて、名前が変なのとタイトルが素敵なのが気になって購入したんだった。ということは半年以上、鞄の中で眠っていたことになる。
ページをめくると、字がでかい。そして読みやすい。
「人のセックスを笑うな」には「人のセックスを笑うな」と「虫歯と優しさ」という2編の小説が収録されているが、1時間足らずで両編とも読み終えてしまった。
東京まであと1時間あるのに・・・
「人のセックスを笑うな」は、19歳の青年と39歳の女性の恋のぐだぐだが、青年の一人称で語られていく。
女性作家による「男性一人称の小説」といえば、
栗本薫の
「ぼくらの時代」がすぐ頭に浮かぶ。70年代ほど熱血でなく、でもLOVE & PEACEな主人公は自分のことを「ぼく」と言っていた。「俺」じゃなくて「ぼく」。漢字の「僕」でもなく、「ぼく」。女性の視点で見た、80年代のナイーヴな青年なのかな。
一方、山崎ナオコーラが描く主人公は自らを「オレ」と言う。「俺」でも「おれ」でもなく、「オレ」。80年代よりもますます温度は冷え、より一層、中性化が進んだ青年は、「ぼく」とは対照的に自分と世界を感覚で捉えていく。
これはあくまで主観だが、「僕」は内向的な自分、「俺」は外向的な自分。そして、平仮名はその対象を柔らかく表現し、片仮名は軽く表す時に使われる。
となると、「人のセックスを笑うな」の「オレ」は外向的で軽い自分?
いや、現在、多くの男性たちが外の世界に対した時も内向きであり、しかも、存在自体が軽い。ということを、この呼称は端的に表しているのではないだろうか?
周囲に「俺」や「おれ」がいる中で、その個性を際立たせるための「ぼく」。
しかし、今や誰もが「オレ」なんだよなぁ。きっと。
笑えない。
そんなことを考えてたら、東京駅に着いていた。
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「人のセックスを笑うな」河出文庫06/10/20 Release!
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人のセックスを笑うな - Trailer
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